『受け継ぐ・繋がる・代々な人たち』Vol.1
梶井宮御流 第二十一世家元 藤原 素朝さん
2022.02.02

梶井宮御流 第二十一世家元
藤原 素朝さん
PROFILE
1971年 梶井宮御流第二十世家元一松斎藤原素朝の長女として生まれる。
2004年 第二十一世家元一松斎藤原素朝を継承襲名。
2005年 家元継承襲名記念展を開催(横浜三渓園)。三千院にて御懺法講に奉修(以後毎年)
2011年 三千院秋季華道展を開催(以後毎年)
2019年 第二十一世藤原素朝継承襲名十五周年記念展を開催(京都 三千院にて)
そのほか、諸流展への参加、異業種とのコラボレーションなど幅広く活動
その花を最後まで活かしきり、一番輝くように生けること。それが私の使命です。
梶井宮御流は、宮門跡として知られる京都の大原三千院門跡が発祥。室町時代から続く歴史ある流派です。500有余年もの重みを受け止め、家を継ぐことを決意した、第二十一世家元・藤原素朝さんに「受け継ぐ」ということ、そして次世代への想いを聞きました。
「うちの流派はなくなっちゃうね」
父の言葉に継ぐことを決心しました。
私が28歳の時に亡くなった父親が、第二十世家元でした。私は一人っ子なので、小さいころからぼんやりと「継ぐんだな」と考えていましたが、父からは一度も「継いでくれ」と言われたことがありません。私が中学生の時に「私が継がなかったらどうなるの?」と聞いたことがあり、そのときに父が「うちの流派はなくなっちゃうね」と、驚くほどあっさり言ったんです。それを聞いたとき「私が継ごう」と決心しました。
小さいころから、お花のお稽古はしていましたが、学校優先で特別な教育を受けたことはありませんでした。ただ、小学生の頃は両親について地方の支部に行くことも多く、いろいろな先生方が稽古をつけてもらっているところを見てきました。当時は学校を休むのが嫌で仕方がありませんでしたが、今思うとそのときに両親の仕事を見てきたことが英才教育だったのかなと思います。もしかしたら「継いでくれ」と言わないことが、父親の作戦だったのかもしれません。うるさく言われていたら反発して「嫌だ」と言っていたかもしれませんよね(笑)。

流派に伝わる型「古典花」。「両親の稽古を見て育ったので、いざ教えることになったとき、あまり苦労せずにできました(笑)」
「品格のある花を生け続けてほしい」
三千院から言われた言葉を大切にしています。
短大を出たらすぐに家の仕事をしようと思っていましたが、父が「上に立つものは使われなければだめだ」と突然言い出し、一般企業に就職しました。最低でも3年は勤めようと思っていましたが、父が体調を崩したこともあり2年で辞めました。その後、母が仕事をして、私が家に入って父の看病をするという状態が4年ほど続き、その間、お花の稽古は中断していました。私が28歳のときに父が亡くなり、33歳の時に家元を継ぎました。
小さいころから覚悟ができていたので、家元を継ぐことへのプレッシャーというのはありませんでした。代を継ぐときに問題が起こったりすると聞きますが、流派の門弟たちがいい方たちばかりで、温かい目で見守ってくれていました。そのおかげで家元になってからの苦労はなかったけれど、お花を生けるということへの自信は徐々に培っていったという感じですね。
家元を継ぐときに三千院にご挨拶にうかがって、家元の許可状をいただき、三千院の華務職という仕事を任命されました。私が継いだ時に、三千院の御門主から「品格のある花を生け続けてほしい。いつも三千院がバックにあることを忘れないでください」と言われました。最初は重い言葉だと思いましたが、その言葉がいつも心にあります。今は発表する場がすごく減っていますが、少しずつ元に戻っていくと思うので、私の生ける花を多くの人に見てもらえる機会を持ちたいと思っています。

三千院の華展より。「毎年5月30日に行われる法要でお花をお供えするのが、三千院の華務職としての一番大きな仕事。毎年11月には三千院で華展を行っています」
流派に受け継がれている花型を
できるだけ多くの弟子に伝えたい。
私は今、独身で子どももいません。流派によっては生徒の中から次の家元を決めるところもあるのですが、うちの場合これまで血縁で続いてきたので、後継者については頭を悩ませているところです。2024年に私が家元に就任して20周年になるので、そのときまでには方向性を決めたいのですが…。お弟子さんに継いでもらうとしても、500年の重みが、やはり難しいところではないかとも思っています。誰も口にしませんが、門弟たちも次を心配しているのではないか、と思うとプレッシャーを感じることもあります。今は私の感覚、そして流派に受け継がれている花型をできるだけ多くの弟子に伝えることが、私にできることだと思っています。

横浜・三渓園「臨春閣」より。枝の動きを活かした、投げ入れの一種
命を切り取ることに葛藤も!
だからこそ最大限活かしきりたい。
最近は、花材も手に入りにくくなっています。私は生の木や花にこだわっていきたいと思っているのですが、生け花で使う花というのは一度切り取られます。命を切り取ってしまうからこそ、最大限活かしきることが私の使命だと思っています。たとえば、展覧会で使った花でも、私は何度でも使って活かしきる。最後の最後まで、小さくなっても小さい器に入れたりして、その花を最後まで活かしきることがその花への感謝の気持ちです。形を変えつつ、そしてその花が一番輝くように生けることを心掛けています。もちろん葛藤もありますが、だからこそ命を全うさせたいですね。花の命は儚いもの、だからこそ美しく尊さを感じます。

「生きている木や花を切る、この仕事に疑問を抱いたことがある」と話してくれた家元。その葛藤が人々の心を動かす、魂のこもった花へと生まれ変わっているのかもしれません
時代とともに生活様式は変わっても
文化は絶対になくならならない…。
昔から今に至るまでの花を見ると、生活様式によって変化しています。建築様式が変わったことで生ける花の大きさも変わってきます。私は日ごろから、「場に生けることが生け花」だと伝えています。場に生けるということを考えると、花は建築様式や生活様式で変化していくと思います。また、コロナ禍で教え方も一変しました。今までは対面が当たり前だと思っていましたが、すぐにオンラインのレッスンをはじめた先生方がたくさんいらっしゃいます。オンライン上でレッスンができるということは逆に広がる。年に何回しか会えなかった人たちと、毎月だってレッスンできる状況になったわけですね。もちろん、対面が一番いいけれど、これからはこういう指導も取り入れていかなくてはいけないと思っています。
そして、今後の目標はもう少し会員を増やすこと。流派の花をいいと思ってくれるお弟子さんを増やしたいですね。それには、華道界全体を盛り上げていかなくてはいけません。若い世代もどんどん出てきているから、先輩方が築いてくれたものをさらに良きものにするために、これからの時代に合ったものに変えながら、大切なものは残しつつ変化させながら生け花文化を残していきたいと強く思っています。文化は絶対になくならないから―。

目黒雅叙園での華展より。「生け花に大切なのは場に生けること! 空間と一体化させることを心がけています」